あーしんどい。

ただの個人的な殴り書き日記です。

よく泣く子ほど、適応が早い。

f:id:yukaosandayo:20181201200657j:plain

(毎日、同じ時間・同じ場所で朝ごはんを食べるふたり。カメラを向けたら同じポーズ。19歳、かわいすぎやろ。)

 

「保育園に入れる時、お母さんと離れたくなくて泣きわめく子ほど、すぐに保育園に適応するんやで。」って助産師の母が言ってたのを思い出した。

私やん。ww

前回の投稿を見て「え、こんなこと思ってたん...。」って驚くほど、今楽しすぎる。適応しすぎている。

 

ベトナムに来て2ヶ月が経ちました。
最初は3ヶ月いるつもりやったんやけど、今は2年ぐらいは住みたいなーって思ってるよ。まさかこんな短期間でこんなに気持ちが変化するとは自分でも驚き。
それぐらいベトナムは素敵な国やった!

それから、日本語教師という仕事が面白すぎる。あとたぶん向いてる。ベトナム語の勉強が楽しすぎる。食べ物美味しい楽しい。ベトナム人優しい大好き。 

逆に、よく2年間も千葉におったなーって思う、どんな気持ちで過ごしてたか思い出せないほどに。その時は必死すぎて気づかへんかったけど、振り返れば辛いことの方が多かったなと思う。でも、あの時の経験が、今ベトナム人と関わっていく上で大いに役に立ってるし、あれがあったからベトナムに行く選択をしてるってゆーのは間違いないんやけど、今が楽しすぎてあの時の自分かわいそうww

書いときたいことはいっぱいあるんやけど、今回は「なんで海外にいる時の自分がいきいきしてるのか?」についての考察を書いておこうと思う。

 

海外留学3回と海外就職2回を経て、「海外にいる時が、一番自分の良いところがだだ漏れしている。」という事実に気がつきました。
「海外」という非日常で特別な環境に行けば、誰もがそうなるもので、自分も少し緊張感を持って過ごしているからあたりまえの現象なんやと思ってたんやけど、理由はそれだけじゃないっぽい。最近はもっと自分の性格とも関係がある気がしてきて、ちょっとわかってきたから発表しますね。

 

(↑ の要因にプラスして、)
1. 自分が「外国人」でいられる環境
2. 社交的にならざるを得ない環境 

この2つが「自分の性格」とうまくマッチングしてるなーと思います。

 

1. 自分が「外国人」でいられる環境

これは文字通り、海外に行くと自分が「外国人」になることができるということです。
私は、(自分で言うのもなんやけど)割と周りに気を遣いすぎてしまうタイプです。相手の表情とか仕草とか言動に敏感で「あ、あの人こう思ってるかな。」とか「あの人楽しめてるかな...。」とか、いろいろ考えてしまいます。
それは非常に日本人的で、そして自分も相手も「日本人だから」相手の気持ちを言葉以外で感じ取ることができすぎてしまうんですね。
でも、海外に行くと常識も価値観も全く違います。平気で舌打ちするし、くちゃくちゃ食べるし、ありがとうとかごめんなさいとか、ちゃんと言いません。でもそれでOKです。
自分が「外国人」だから、相手も「外国人」だから、相手の気持ちを推測できる材料が少なくて、気を遣うのが難しいです。だからもう諦めちゃいます。気を遣わずにわがままになれてしまいます。はっきり言わないとわからないので、はっきり言えるようになれます。

言語の面でも、微妙な感情を伝えることが難しいので「良い」「悪い」「好き」「嫌い」だけ。文化の面でも違いすぎるので、もういろいろわからない。だからいろいろ諦めちゃう。いろいろ気にしない。

変にいろいろ考えすぎず、もっとシンプルに目の前の人と付き合えるようになります。楽しかったら笑うし、嫌だったら嫌だと言えます。それがとってもストレスフリーです。

 

2. 社交的にならざるを得ない環境

私はどちらかというと「一人でいるのが好きなタイプ」です。だから、自分から誰かを誘ってどこかに行くことはほとんどありません。行きたいところがあれば、一人で行く方が楽だと思ってしまいます。それは相手に「気を遣って」しまって、それに疲れてしまうからです。前述した私の性格ですね。楽しめてるかなー、誘ったからには楽しませないとなー、って思っちゃいます。なんなんって感じですね。

 でも、海外に行くと一人でできないことが増えます。買い物も一人でできないから、ついてきてってお願いしないといけないし、ローカルな情報はやっぱり現地の人から仕入れる必要があります。人に頼らないといけない環境ができあがります。だから、自分からどんどん人に声をかけられます。そして、人と関わるのはやっぱり楽しいですよね。

私の「人に気を遣ってしまう」性格の本質は「人に嫌われるのが怖い」やと思うんです。私と一緒にいて楽しくないと思われて嫌われたらどうしよう、こんなこと言って嫌われたらどうしよう、そう、びびりなんですよねっ。

でも海外に行くと、自分が嫌われたらどうしようとか言ってられません。サバイバルですから!!!嫌われてもしょうがないから、話しかけて頼って助けてもらわないといけません。必然的に人との関わりが増えて、その関わり自体が楽しいってなります。で、もっと仲良くなりたいっていう気持ちになって、関わりが増えて、もっと楽しくなって・・・良いサイクルが回り始めます。

 

・・・・・以上が私の考察です。
他にも細かい要因はいっぱいあるけど、大きい理由はこの2つかな。とにかく海外にいると、ストレスフリー&自分の良い面がいっぱい出ます。

それもこれも、現地のみなさんのおかげですよ本当に!!!

そんなみなさんにお返しができるように、今は日本語教師という仕事を通して頑張るベトナム人を全力でサポートしていこうと思っています!!!

みなさん Cảm ơn rất nhiểu ね!!!

ベトナム ハノイにきて1週間が経ちました。

f:id:yukaosandayo:20180920221203j:image

(わりとバイクが通ってない瞬間を奇跡的に捉えたハノイの夕暮れ。空がキレイ。)

 

Xin chao !(こんにちは!)

ハノイに来て1週間が経ちました。

この1週間でいろんなこと考えて、気持ちが上がったり下がったりしたので、それを詳細に綴っておこうと思います。

 

まず最初に書いておきたいんやけど、正直ハノイに行く前、行くん辞めよかだいぶ悩んでました(笑)

ほんまに気持ち半々ぐらいやったから、来てなくても全然おかしないぐらい迷ってた(笑)

 

理由はおそらくこの2つ

1. 新しい環境への不安

2. 価値観の変化

 

1. 新しい環境への不安

まあこれは毎度のことやから、あーはいはい。って感じやな。

新しいことするとき、「嫌やなーめんどくさいなー」って気持ちになるのは恒例なんやけど、経験上その先に絶対素晴らしいことが待ってるって知ってるから、どんな気持ちになろうと突撃するんやけど、今回いつにも増して行きたくない病の症状が重たかったので、「もしやこれは本当に行きたくないのでは?」と思ってしまった。

 

2. 価値観の変化

約2年勤めた千葉の会社を退職してからベトナムに来るまでの2ヶ月間、私は兵庫県の実家で過ごしました。

実家での暮らしはほんまに幸せで、(ニートやからってだけかもしらんけども)家族とか地元の友達とか、自分に近い人と一緒に暮らして行くのって、ほんまに幸せなことやな〜〜って改めてひしひしと感じてしまってん。

 

家でみんなのためにキレイに盛り付けた料理出して喜んでもらったり、ばーちゃんに花持って会いに行ったり、いとこの子供たちと遊んだり....。

 

この2ヶ月の間に水害とか台風とかいろいろあったってゆーのもあるんかもしれへんけど、限りある時間をもっと大切な人とか自分に近い人と過ごしていきたいな〜って思うようになりました。

 

そういう気持ちは今までもあったけど、それよりも「知らない世界に行きたい!」とか「新しい人にいっぱい会いたい!」っていう気持ちの方が強くて、ずっとウロウロしてました。

 

それがこの2ヶ月の実家暮らしが、ほんまに幸せすぎて、「外の世界とか新しい経験とかほざくんそろそろ辞めて結婚して子育てとかしよっかな〜〜」な気持ちに初めてなった。

 

年齢を考えて自分が焦ってるだけなんか、ベトナムで待ってるであろう苦労とか、働かなあかんこととか、はじめまして〜のめんどくささとか、いろんな気持ちが混ざってしまって、自分でもどう思ってるんか正直わからへんままベトナムに来ました。

 

つまり何が言いたいかというと、大してやる気満々で来たわけじゃないねんってこと。

 

半強制(誰も行けと言っていない)というか、自分はもっかい海外生活すべきである!(誰も何も言っていない)みたいな強迫観念のみで突撃しました。

 

今まではその強迫観念を信じて疑わへんかったけど、この2ヶ月を経て「あれ?ほんまは自分ってどう思ってんねやろ。」ってなったのが、正直な気持ちです。

 

来てみてからも正直心が晴れることはなくて、引きこもって、悩んで、帰ろっかなーって思ったりもじもじしてました。(恥。)

 

ただ1週間経って、持ち前の適応力でこの地に馴染んでしまって、人に馴染んでしまって、やるべきことが見えてきたり、この土地の良さを感じたり、新しいことにワクワクして適応しはじめてる自分が出てきました。(早。)

 

今のところ何が正解かわからへんけど、日本にいたら会うことができひんかった人とか知ることができひんかった世界を知れて、やっぱり楽しい。

 

どこまでかわからへんけど、今の気持ちと目の前にあるものを大切にして、いけるとこまでいってみようと思う!!!

 

Xin cam on !! (ありがとーう!)

 

「どうするか迷ってる時」が一番だるい。

f:id:yukaosandayo:20180922121838j:image

(山で疲れすぎて鼻くそほじってる写真。あーしんど。)

 

第二次転職期を迎えました。

5年目の年齢で4社目か〜。はじめまして、ゆとり世代です。

やりたいことが変わったよ!また転職するよ!

転職しよっかな〜って思い始めてから何やかんやで6ヶ月は経つんやけど、もっと早く動くべきやったんやろなって反省してる。それがわかっただけでも一歩前進やけど、この気持ちを忘れないように、ほんで次はもっと軽めに動き出せるように忘れんうちに書いとこっと。

前からわかってたことやし再確認になるけど、やっぱり「どうするか迷ってる時」が一番だるい。一番だるいし体力消耗するし生産的ではない日々を過ごすことになる。どうしよっかな〜の宙ぶらりんの時は、いろんな物事に対していろんな角度からいちいち考えてしまって、ほんまに疲れる。しかも、自分の気分によっても見え方が変わってしまうから、自分自身に振り回されてる感じになる。そして何より、いま目の前のことに集中していない状態なので、ほんまにだるい。ほんーまに疲れる。

ダイエットする!今日からお菓子食べへん!って思っても、コンビニのお菓子コーナーの前通って、「わ〜新商品出てる〜どうしよっかな〜買おっかな〜でもお菓子やめるって決めたしな〜でも食べたいしな〜わ〜どうしよ〜わ〜わ〜」

もう、この時間がほんまにだるすぎる。

何事においても、この「どうしよっかな〜わ〜わ〜」の時間の無駄さよ。

物事の大きさに関わらず、人って決断するのに想像以上に体力消耗してるらしい。今日何を食べる?から仕事やめちゃう?まで、人はずーっと決断してて、ずーっと体力消耗してる。だから、スティーブジョブズとかマークザッカーバーグとか、なんか飛び出てる人はその他の重要な決断に体力使いたいから、毎日同じ服なんやって。それはちょっときしょいけど。

今回の転職決断で、いかに「どうしよっかな〜」の時間が体力を消耗するのか、いかに「決めちゃうこと」が大事か改めて感じました。

もう、「決めちゃう」がほんまに大事!!!

どっち選んでも大差ないもん!!!

だから適当にこれ!って決めちゃって、さっさと次進むんが吉!!!

悩んで決めても、くじ引きで決めても、あんま変わらん。(それは言い過ぎかな。)

それより決めちゃって、「決めちゃったもん!」な気持ちで、生産的な時間過ごす方がよっぽどましや。ここ半年間は宙ぶらりんで、ほんま微妙な自分やったわ。

 

明日からは、さっさと決める自分になろうと思う!!!

 走りながら微調整!!!頑張れ自分!!!

 

本を読んだよ。

f:id:yukaosandayo:20180923084450j:image

(食べることと寝る事にしか興味がない、価値観シンプルなうちの愛犬)

 

君たちはどう生きるか」という本が、やたらと本屋さんで目につくので、とりあえず読んでみた。なんか人生迷ってそうな人が読みそうなタイトルやし、立ち読みするん恥ずかしかったから、別に熱心に読んでるわけじゃないですよみたいな顔して読んでたけど、そういえば人生迷ってるんやった。

別に熱心に読んでるわけじゃないですよの顔で、一時間ぐらい立ち読みして結局読み終わってんねんから、熱心やんな。

読んだ感想としては、普通やった。なんかタイトルと表紙のイラスト通りの内容やった。

たぶんこれ、メカラウロコ的なやつじゃなくて、今まで言われ続けてきたことの正しいことがかなり書いてある感じ。ことわざみたいな。知ってる、知ってる、それも知ってるって感じ。

中学生ぐらいで読んだら「おお、そうか!」ってシンプルに衝撃を受けるかもしれへんけど、二十歳以上やとだいたいこんな感想になりそうやけど、どうなんやろう。

内容は、主人公の少年が様々な出来事から人として大切なことに気づいていく、みたいなやつ。人間は小さな存在で、その一粒一粒が繋がって社会ができてて、自分中心で世界が回ってるんじゃなくて、相手を思いやることも大事で、自分が正しいと思うことに対する感性を研ぎ澄ますことが大事で、人に何を言われても貫くことが大事で、行動することが大事で、なんか毎日しんどいけど、一歩ずつかみしめよう、みたいな話。(自分フィルター通したら内容薄っぺら化しすぎてびっくり。)

なにが悲しかったって、この類の本を読んで、(・_・)ってなってる自分な。こういうほんまのことでありきたりで大切と思われるようなことが書いてある本を読んだり話を聞いたときに、「あーそれね。知ってるやつ、はいはい。」みたいな気分になってしまうときって、だいたい自分が一生懸命じゃないときっていう統計がでてて(自分調べ)、今がまさにそうなんやなってこの本読んでて再確認した。

(逆にミスチルがやたらと聴きたくなる時期は、素直で一生懸命やってる時期やと思う、これも自分調べ。)

そんなシラケムードの中でも一番頭の中がぱちぱちってした部分は、友達を裏切ってしまって罪悪感に苛まれている主人公の少年に対して、少年のお母さんが自分の体験を語りかけるシーン。

エピソード : 重たい荷物を持って階段を登っているおばあちゃんがいて、その荷物を持ってあげようと思いつつ、なかなか声がかけられずにただただ後ろを付いていくだけで、結局おばあちゃんは階段を登りきっちゃって手伝ってあげられなかった。

「本当に小さな出来事で、何十年も前の出来事だけど、今でもそのときの気持ちや情景をはっきり覚えている」というお母さんの話。

ほんまにあるよな!こういうこと、いっぱい。

めっちゃ一瞬でちっさい出来事やのに、一生覚えてる感じの、あれ!

その話を聞いた後に、少年がお母さんに「そのことを思い出して悲しい気持ちになるか?」と尋ねたら、お母さんは「悲しくはないよ。もしまた荷物を持って階段を登っているおばあちゃんに出会った時、おばあちゃんの荷物を持ってあげられるように、あのときの自分が、そっと背中を押してくれるような気がする。」 (こんなんやっけ?)と答える。

たぶんこの本の伝えたいところはこの部分で、正しくあろうと悩んで苦しんで情けない思いをした分、その頃の自分が未来の自分を応援してくれるよ、が全体のメッセージなんやと思った。

 

「メッセージなんやと思った。」って冷めた感じで分析して、今感想書いてる自分がほんま嫌やわ、歳を重ねるごとにだんだん素直さがなくなってきてる感がほんま嫌やわ、そろそろ魔女の宅急便みてフレッシュな気持ち取り戻す時期かなあ。 

 

石の上にも三年!

f:id:yukaosandayo:20180922122503j:image

(母校龍谷大学のYou,Unlimitedオブジェで弟と。裏でめっちゃ背伸びしてぷるぷる。アンリミテッドだぜ。)

 

久しぶりに昔書いてた日記が出てきて懐かしい気持ちになったので、あの時のことを振り返ろうかな〜と思う。

新卒で入社した会社を1年で退職してからのこと!(厳密には11ヶ月。)

振り返ってみると、仕事を辞めようかと考え出してから実際辞めて次の道に進むまでの23歳から24歳あたりは、今までで一番迷った時期やったと思う。ほんで、普通に転職活動してみたり、デザイン勉強してみたり、ラインのスタンプ作ってみたり、ターキーレッグ売ってみたり、挙げ句の果てにセブ島に迷い込んで、とにかくじたばたしてたなぁ。

高校生までは部活一筋やって、やることもコミュニティも頭の中もバスケバスケバスケやったんやけど、それが大学生になって一人暮らしを始めて4年間ぶっとびまくった!だって自由すぎるし楽しすぎるもんな!大学生の頃は時間もいっぱいあったし、コミュニティも自分の行動の分だけ広げたい放題 & チャンスもきっかけも無限大にあって、求めればなんでもあって毎秒わくわくしてた気がする!結構単位落としたけど!

でもこの23歳から24歳の間は、すんーーーごい彷徨った!というか今までほんまに悩みとかなかったし、悩みがないことを本気で悩んでたから、めっちゃ悩みだした自分にびっくりした!

仕事辞めるんってめっちゃ体力いるし、会社側からしても役に立たへんうちに辞められてだるかったやろうし、なんでその苦労を押してでも辞めようと思ったんかあの時はわからへんかったけど、今やったらなんとなくわかる気がする。

理由はいっこじゃなかったと思うけど、一言で言うと、「このままいったら知らん間におばちゃんになって、急に何かをめっちゃ後悔するんちゃうかな!」・・・やと思う。「何か」わからんけど「何か」あかん気がするっていう漠然具合。

たぶんあの時、初めて自分の人生について真剣に考え出した時期やったんやろな(遅。)だから、人生の中でもほんまに貴重な時間やったなとは思うけど、いやいやしんどかったなあ。

「とりあえず3年」みたいなんよく言われるけど、3年経ったら26歳で「あ、なんか違いました。」ってなったところで、そこからよっこいしょって違う道歩こうとした時に選択肢も少ないし、乗り越えなあかんことも多そうやし、大変なんちゃうかなーって思ったし、もしかして周りの人が言うほど、「仕事辞める」って悪いことじゃないし大したことじゃないのでは・・・?と思って、ちょっと辞めてみてん。(実際大したことじゃなかった。)

周りの人から見たらただのゆとりやったと思うし、実際そうやし、辞める時もいろんな人に反対されたり、っていうか反対しかされてないし、若干怒られたり、涙涙のこともあったんやけど、やっと最近「あー辞めてみてよかったな」っていう気持ちになってきたよ。

あのまま「続ける」っていう選択をしてても、素敵な社会人3年目を迎えて後輩を指導する立場になってたかなーとも思うし、辞めて違う道に進んだおかげで自分の想像の範囲をはるかに超える経験とか、あのままいってたら出会うことのなかったおもしろい人たちといっぱい出会えたから、ほんまに今は辞めてみて正解やったな~とも思う。どっちでも◎やったんかもしれへんけど!

あの時の自分は「やりたいことがわからへん」とか、「自分に向いてることはなんやろう」とかばっかり考えてて(若いね!)、そのたぐいの本も読みあさったし、記事も読みあさったんやけど、それらがいかに無駄なことやったかを、今になるとしみじみ。

だって、今も別に明確な「やりたいこと」とかないし、多分これからもそんなんない気がするもんな〜。

人生通して「これを成し遂げたい!」みたいな使命感に駆られてる状態への憧れがあって(プロジェクトXとか情熱大陸みたいな!)、そういう人みるとかっこいいなー!って思うんやけど、多分自分がそういう人になれることは一生ないんちゃうかなって思う。

この「使命感に駆られてる感」への憧れがあったから、「自分は人生をかけてこれを成し遂げる」みたいなものを決めてしまうことで、それに向かって何も考えずに走り続けていきたいなって思ってたんやと思う。つまり悩んで迷って頭使って考えることがしんどいから思考停止を求めてた状態(今思えば。)

も実際そんなものがどっかに転がってるわけもなく、見つけられてないんでもなくて、そもそもないわけで、悩んで迷って歩いていくことでしか見えへんもんなんやと、最近になってようやくわかってきたよ。

プロジェクトXの人も情熱大陸の人も、あのかっこいい感じは、目の前のことを一生懸命やってきはった結果であって、神様のお導き的なんがあったわけでもないんやろう。

ほんで、何しててもどこにいても、別に大して変わらへんっていう事にも気づき出した。

「海外で経験積んだ方が!」とか「若いうちにこれやっとかな!」とかギラついてたけど、実際何をやっても、同じくらいの勉強できることがあって、同じくらいのつらいことがあって、同じくらいの楽しい事があって、みたいな。全然変わらんやん、みたいな。自分色出すぎて、自分次第すぎて、もう。

だから、明確な「やりたいこと」「向いてること」みたいなんを探すんじゃなくて、とにかく「なんとなく良さそう」の嗅覚を研ぎ澄まして進んで行く、それから「目の前にあることを一生懸命やる」ことしかできひんし、これからもそうしていこう思う。

仕事辞めるかどうか迷ってた時に、「石の上にも3年」っていうことばに、ずいぶん足引っ張られた感あるけど、座り心地悪かったら退いたらいいんちゃう〜?を付け足しておきたい。結局今の納得感を積み重ねることしかできひんっぽいしなぁ。

いろいろ書いたけど、結局全部、すぐ飽きてしまう自分への言い訳で、1つの事をずーっとやり続けている職人肌の人に激しく憧れてしまう。そういう人になってみたい。

今の環境に感謝する回

f:id:yukaosandayo:20180922133140j:image

(セブで働いていた時にオフィスがあったヘンリーホテルのロビーにて、謎のオブジェとご挨拶。感謝。)

 

環境が全てやんなーと思う。

ちょっと前までやってた介護施設でのヘルパーの仕事で感じたことを、忘れへんうちに書いておこう。

うちの施設は、特に経済力の低い人たちが利用する施設で、利用者のほぼ全員が生活保護受給者 & 家族や親戚にも見放されて、お金もなくて、信用もなくて…もう、行政が「どうしたらええんやー!」ってなった人たちが駆け込んでくるようなところやねん。

乱暴な言い方をすると、日本の資本主義経済ピラミッドの一番下にいる人たちになるんかなって思う。ほんまに底辺。

最初ここに来たときは、正直めっちゃショックやった。アメリカのホームレスの集団とか、フィリピンでゴミ山に住んでる人とかいっぱい見てきたけど、日本にこんな場所とかこんな人たちがおるってことを知らんかって、ほんまにショックやった。海外うろうろして結構いろいろ見てきたし、いろんなこと知ってるって思い込んでたけど、自分ってなんも知らんねんなーを再確認。

この施設にくる人たちを見てると、「なんでこんなことになってしまったんやろう」と思わざるをえないほどの人たちがほんまに多い。だって基本的に面会に誰もこーへんし、葬式にすら誰もこーへんとか、あるある。こういう人たちを見てて、「それなりのことをしてきたから今に至るんやろうし、仕方ないんかな」と思うし、「人は生きてきたように死んでいくんやな~」とつくづく感じるんやけど、これってこの人たちの責任じゃないよな〜って、ふと思ってん。

私たぶん死んだら悲しがってくれる人結構おると思うし(え、おるよな?)、葬式に誰も来ないみたいなこと絶対ないんやけど(え、ないよな?)、それは親に愛されて育って、その愛情のおかげで人にも優しくできて、人に優しくするから多少友達もおって、周りの人に優しくされて、だからまた周りの人に優しくできて、みたいな幸せサイクル回ってるタイプの人間やからなわけで、この施設にいる人って、人に優しくしてこんかったから、人も金も遠のいてるって仮説すると、それは親に愛情かけてもらってなかったり、人に親切にしてあげられないような性格を形作ってしまった環境のせいやなーと思う。そもそも生まれ落ちた場所が幸せサイクルから漏れていた、みたいな。(本人は幸せと感じてるかどうかは本人にしかわからへんけど、私はそういう風には感じなかったので。)

私なんか、たまたまラッキーで、運良く、幸せサイクルに仲間入りさしてもらってるだけやんなってなってくると、もう自分が頑張ったことなんかいっこもない…。そらこんな素敵な人たちに囲まれてたら幸せやわ、そしてそう感じることができる自分を作ったのも環境やわ。

そう思ったら、もう、環境がすべてやんな。

今までいろんな経験してきて、いろんなこと勉強してきて、できることも増えたし、「自分で乗り越えてきたぜ!」みたいに思って自信をもってることもいっぱいあるんやけど、よく考えたら自分が努力して掴み取ったものみたいなん無いなーと思えてきた。

例えば今の仕事やったら、まず採用して(拾って)もらって、教えてもらって、それを評価してもらって、自己有用感に浸らせてもらって、幸せやな。今ここなんやけど、全部してもらってばっかりな気がする。だから「あいつは努力が足りん。ぷんぷん」みたいに偉そうに言う人おるけど、わたし絶対人にそんなこと言える立場にない。だって、スタート地点も用意してもらって、ある程度の道も示してもらって、「そこ上手く歩ける?」みたいなサポートもしてもらいながら、うまくいったら「すごいやーん」って言ってもらえる環境があるんやもん。努力できるフィールドがあって、その努力を適正に評価してもらえる環境なんやったら、そら誰でも頑張るって。

だから、なんか今の仕事しんどいとか、毎日怒られてばっかでつらいとか、そういう人って「努力が足りない」んじゃなくて、「努力しやすく且つ適正に努力が評価される場所に身を置くこと」が一番大事やなーと思う。ないんやったら探したらいいと思う。日本人は「修行が足らん!」みたいなやつめっちゃ好きやし、それはそれで美しいんやけど、やりすぎ注意やんなー。なんでも自分のせいにしすぎることないかな〜と思う。環境がくそやもんって思っても全然いいと思う。でも、環境がくそやもんって言いながらとどまってるのは自分が悪いかなーとも思う。

なんか今の状態良くないなーの時は、①移動する、②変える、③適応する、のどれかやと思うんやけど、どれがいいとかなくてどれかやる事が大事やと思うから、いややーって止まってんとどれかやりーってほんまに思うわ。

話が逸れてしまったけど、とにかく今の環境に感謝してるよっていう自分自身へのリマインド。それをちょっとでも周りの人に還元できるように過ごそうっと。素直な心と謙虚な気持ちを忘れずに!

先輩教えてください。

f:id:yukaosandayo:20180922134343j:image

(今は亡き ben&jerry’s 表参道店。ここでバイトするのが夢やったのに。)

 

ちょっとだけ、人事の仕事が始まった。

というか、これを人事の仕事って呼んでいいんかわからへんけど、職場のみなさんがご機嫌で働けるように、なんかいい感じに立ち振る舞う、みたいな仕事が始まった!人生通してこんな感じの立ち位置で生きてきたから割と得意な分野なんやけど、ここで一回自己流じゃなくてシステム的にいろんな制度を整えたいなと思って、先輩方にいろいろ教えてもらうことにした。

今まで10年以上続いているこの会社に「人事部」というものが存在してない&私が突然その仕事をすることになった=とにかく何もわからない。誰も何もわからない。つまりやりたい放題。ということで勉強スタート。 

一瞬でお互いのやる気を高める「上司-部下面談の技術」

” 一瞬で ” が怪しすぎるけど、ちょうど職場で「面談とかやってみる・・・?」っていう話になっていた矢先に、ドンピシャのタイトルのセミナーがあったから参加してみた。表参道駅近くやったから、私が世の中で一番好きなアイス屋さん BEN & JERRY'S に行ってから参加しようと思ってたのに、いつも通りの時間のルーズさでセミナーにすら遅刻しかけた、自分ほんまにいやや。アイス食べたかった。

仕事の悩み、ぶっちぎりのNO.1

やっぱり職場での人間関係、特に上司-部下のコミュニケーションに関する悩みが多くて、部下との関係に悩むおじさん上司が増えているみたいやった。

若い部下たちの仕事における専門性が高まったことが理由で、「え、おっさん、そんなんもできひんの?俺より高い給料で?先パイなにしてんすかww」みたいなことになって、部下の扱い方がわからないとか。つらすぎ。

「飲みにケーション」してるから大丈夫!みたいな人もいるみたいやけど、会社と酒の場は全く違うし、その時すごく深い & 熱い話できたつもりになっていても、次の日には忘れちゃってて、「あれ、昨日のあの熱い感じどこいったんすかね...」みたいなことになって、GAPがありすぎるとのこと。酒の力に頼るんじゃなくて、しっかり話し合ってモチベーションに繋げていこうよ!っていうことで、

◆ 目標管理面談

というものを、普通の会社は定期的に従業員に対してやってるみたい。(知らんかった。)頻度と時間に差はあるものの、3ヶ月に1回 &1人1時間とか時間を取って、最近の仕事の悩みとか、今後の目標とか、仕事のモチベーションを高めるために上司に時間取ってもらえる、みたいな制度らしい。

今日のセミナー講師の方は、若い頃「世界のリーダーになるんやぁぁぁ!」って熱い気持ちで挑んだ上司との面談で上司が居眠りをしてたという経験があり、それにショックを受け、(あ、面談って適当でいいんや...あんま意味ないんや...)って思ってしまったらしい。

確かに面談する方からしたら、毎日みっちり面談スケジュール入ってて、君のことなんて one of them なわけで、寝てまう気持ちもわからんでもないけど!!でもぼくからしたら貴重な1時間なんすよ!!

とにかく、せっかくお互い時間割いてるわけやから、どうせなら有意義な時間にしませんか?そのコツ教えます、っていう話やった。

「最近どーよ?」から始まる、もろもろ&よもやまMTG

セミナー講師の先生曰く、前職での「最近どう?」から始まるこの面談がめっちゃ良かったらしい。「今日は俺の話聞いてな。」 から始まって、上司が仕事の悩みを打ち明けることもあったって。こんな上司のおかげで、「あ、先輩でもこんなことで悩んでるんや。」がわかって、信頼関係◎ 自分も話を打ち明けることができたらしい。

このエピソードからわかることは、自己開示の重要性!「心を開いて欲しかったらまずは自分から。」そんなこと、今までいろんな本とか記事とか偉そうな先輩とかから聞いたことある割とメジャーな話やけど、案外うっかりかっこつけてしまってできてないこと多いな〜と思った。(先輩やねんから素晴らしくいないと!年上なんやからしっかりしないと!みたいな。)

◆ 弱さを見せていこうよ!

「なぜ弱さを見せ合える組織が強いのか」という本が紹介されてた。

1. 人はみな孤独、弱さをカバーするために仕事をしている
2. だから上司が率先して弱さを開示していこう
3. ごまかそうとしても、その弱さバレてるよー。

まとめると、こんなことが書いてあるよ。

「え、こんなんもできひんの?」
「ちょ、まだそれやってへんの?」

みたいなこと言われたくない、思われたくないという感情から、そういう痛みを回避するために「やってますアピール」で無駄に資料作りこんだり、「思ってるけど言わへん」で会議が有意義にならないみたいなことが起こりがち。

そんなことせんと、「こんなんもできないんです。」「それまだできてないんです。」を、さっさと共有してお互いに認めてあげることで、「心理的安全性」を得て、本当に必要な仕事だけやっていこうよってことらしい。たしかに、無駄に資料作る人 & 無駄に経過報告する人いるいるいる。

◆ 流行りの1on1

yahoo! が取り入れている人事制度で、本とか出て有名になったらしいのですが、(全然知らんかった)つまり1対1の面談の事らしい。そして、これは目的があくまで「社員のモチベーション向上」と「社内コミュニケーションの円滑」であって、人事評価には全く関わらないというのがポイント。

1on1といえば、バスケ部時代の嫌いなメニュー第3位の方の1on1を思い出してしまう。(1位は、”コートを8の字で制限時間内に走って帰ってこないとあかん × 監督の気まぐれ周数” のピッチ走っていうやつ。声出し有り。思い出しただけで吐きそう。)

◆ ”1on1” 導入のポイント

・1回30分〜60分 per 1week か 1month
・まずはこなせば、良さがわかるらしい
・部下の話を評価&判断せずに、とにかく聞く!
・自分から悩み&弱さをオープンに。
・互いのチャレンジ&アクションを明確にする。

◆ ちょっとやってみよう!

・となりの人と、自己紹介をしてください。
・聞き手は、「この人こんな人かな?」と仮説を立てながら聞いてください。
・あとでそれをフィードバック!

 ➡︎ 今回は初めて会った「知らない人」との会話やったけど、面談になると「知っている人」と話をする事になるから、「あの人やったらこう考えるやろう」とか「あの人に言ってもこう言われるやろう」とか、知っているが故に新しい発見が出にくいというデメリットもある。そこで、

◆ 傾聴しよう

・その名の通り、ただただ聴く。
・「〜だったんですよ。」という話に対して「〜だったんですね。」と心の中でおうむ返し。
・関係が近ければ近いほど「この人はこうだ」という思い込み & 仮説まみれなので、それを一度振り払う。
・傾聴するぞ!スイッチを入れる必要がある。批判されたり、この人話聞いてないなって話し手が感じた時点で、心のシャッターが下りる人は多い。

 ※ 飲み屋のグチ大会は、同意という油を注いでしまうことで、どんどん燃えて火の勢いが止まらないという性質を持っているので、こんなときこそ傾聴。ただただ頷いて落ち着かせてあげてね。

◆ 面談は1つの手段

面談のコツみたいな話ばかりしてしまいましたが、面談する事が目的ではなく、個々人を生かし組織のミッション&ビジョンを実現する事がマネージャーの最大の目的。個々人が活躍するには、自律(自分で考える)↔︎ 協働(互いに連携する)これを両立する事が大切。

ただ、これは対概念になりやすいので両立するというのはなかなかムズかしい。両立するというよりは、行ったり来たりするのが良いみたい。自分個人の力発揮! ↔︎ みんなで協力!を行ったり来たりできるようにするための面談であり、自己啓発であり、福利厚生であり、社内クラブ活動であり、その他もろもろ・・・ベースは相互理解にあり!

◆ やる気スイッチ

まさに価値観とダイレクトに繋がっているもの。自分の価値観に順位をつけた時、優先順位1位にくる最高価値が圧倒的に強くて、2位以下は、それを支えるための手段でしかないらしい。

例えば、「お客さんに対して提案をあれこれ考える」のは好きだけど、「わかりやすい資料を作り込む」ことは嫌いな従業員に対しては、それを他の人にやってもらうとか、それをやる価値があるという事を、その人の価値観に訴えへんとやる気スイッチは入らへんし、そもそもその人の価値観を知らないと始まらないよね。

◆ 価値観の特定方法

「意識」と「無意識」の両面から判断する必要あり。「家族が一番です。」(意識)と言っていても、「毎晩飲み歩いているという事実」(無意識)があれば、優先順位は変わってくるかも...。

それと、「エニアグラム」っていうのがあるらしい。簡単な質問に答えて、自分の価値観と優先順位を特定できるテストのようなもの。こういうものを取り入れてみても良いかな。

◆ 価値観 × やるべき仕事 = やりたい仕事

価値観がわかったところで、その人の「やるべき仕事」とリンクさせ、「やりたい仕事」に変えよーう。「今から君に頼む仕事は、こんな意味があるよ。」の「こんな意味」のところをその人の価値観に響かせることがポイント!これがなかなか難しい。

「自分のやり方で1から10までやり通すことに価値を置いている人」に対して、こと細かに仕事のやり方やらスケジュールやら報告のフォーマットやらを決めてしまっては、モチベーションはだだ下がり。逆に、「きっちり指示通り仕事を遂行する事に価値を置いている人」に対して、「これ自由にやっといて〜〜〜」も絶対あかん。同じ仕事を任せるにしても、マネージャー側の ” ひとてま & ひとこと " がほんまに大切になってくる。

◆ まとめ

とにかくベースは「相互理解」

1. 傾聴
2. 価値観を知る
3. それに響くメリットを伝える

この3ステップがシンプルに大切みたい。

 わたしの感想

結構びびりながら行ったけど、人事とかマネージャーの仕事をしている先輩にたくさん会って、あぁ、みんないろんなところで悩んで頑張ってはるんやな〜ってしみじみ(何様。)

何をするにも、ちゃんとした形を知らんからどうしようって思ってたけど、いつもやってるみたいに「最近どうっすか!!!」みたいなテンションのオフィシャルに時間取るバージョンで「面談」って名前つければいいだけかなとも思った。こんな感じで良さそうっていうイメージ沸いただけでも本当に来て良かった…今日聞いたポイントをおさえながら、来週からちょっと面談始めてみようかな。

 懇親会

おつまみのポテチ・クラッカー・ポップコーンのラインナップの中になぜかブルーベリーがあってセンスの高さに脱帽の懇親会で、お酒を片手に参加者&主催者の方とめっちゃ喋った。

今の会社だけにいるといろいろ凝り固まってしまうし、仕事では結構嫌になったり、最初に書いた「え、先輩何してはるんすか、、、」を思う事がほんまに多くて、とにかくがっかりすることが多い。でも人事部もないわけで、モチベーションを保つ面談もないわけで、それをむしろ私がやらなあかんやつ。

仕事してると、ほんま、なんなんこの人ら…(お互いやと思うけどw)って、上の世代に対して思う事めっちゃあって、誰が悪いとかじゃなく、ほんまに価値観が違いすぎて困る。違いレベルで言ったら、「遅刻の何が悪いねんって言ってるフィリピン人」と「1時間前出社当たり前の大手日本銀行員」ぐらい価値観違うから、一生交わることはできひんのかなー、いやでももうちょい頑張ってみよかなー、を繰り返して今に至る。

このセミナー行った日も、ちょうど「あかん、もうあかん…。」って思ってる時やったんやけど、この話聞いて自分がめっちゃ甘えてたなって思ったし、もっかい頑張ろって思えた。

価値観違うってことで全部片付けたけど、違うから、じゃあどうやったらこの人のこと理解できるかなー、どういう風にしたら分かってもらえるかなー、をもっとやらなあかんかったなと思った。こんなに海外行ったり、海外の人と関わったりしてるのに、国内の価値観違う人とは、全くグローバルに付き合えていなかったと反省した日やったな。

そして、若い人のことを考えてくれてるおじさん世代もいるんやーと思って(別におまえのことちゃうけども)、すごい励まされた!

こういうところに来ると、気づかへん間にまた会社の中だけで頭が狭くなっちゃってたんやなって気づく。ナマステ、ナマステ。  

次行く時は、絶対 BEN & JERRY'S のアイス食べる!!